2015年 05月 07日
『恋の蜃気楼』第2話 |
第2話『婚活』
・「出会いを求めて」
50過ぎの男が、婚活を始めた。
男はバツイチで、子どももいるが、その子らはすでに二十歳を過ぎ、男は自身の残りの人生を考えて、寄り添ってくれる人の必要性を感じ、60歳を目の前に嫁さがしを始めた。
結婚は体裁ではなく、未だ『恋』の経験をしていないと思っている男の、『恋』に対する未練かもしれない。「誰か好きな人が居て、命ある限り『恋』をしていたい」そんな相手と巡り会うことを願っている。
「早く私を見つけて!」まだ会わぬ相手の女性から、そのような声が聞こえてくるような気もする。
安曇は就寝前のひと時に、どこかで安曇との出会いを待っている女性がどこかにいると信じ、ワインを傾けている。
毎日一人で傾ける、ワイングラスが、いつしか二つになっていることを。
安曇はこれまで女性と付き合ってきた経験はない。
そのような男が『恋』ができるのだろうか、ロマンチックに夢を描くことはできるが、現実はそうではない。
『結婚』だけが目的であれば、選ばなければ可能かもしれない。
しかし安曇が求めているのは、『恋』だ。
女性との交際経験もない安曇にとっては、傍目から距離を置き密かに『恋』をすることは可能かもしれない。
しかし、安曇の求めているのは将来を寄り添いともに歩んでもらう女性だ、それも『恋』を前提に。
結婚までのハードルには、相手の女性と『恋愛』をしなければ到達できないということがある。安曇はそれをクリアーできるのだろうか。
・「まだまだ」
歳を考えれば、いい加減に人生をあきらめ、ほどほどに納得して終焉を迎えればよいのかもしれないが、そこまで達観できていない。
いまだ思春期と言われ、仲間からは青年のままだと言われ、半ばピエロを演じている。
当然ハードルは高い。
「50過ぎた男が、今更嫁さがしとは」とせいぜい物笑いの種。
「へぇ〜安曇さん婚活〜、本気〜」
まわりで女たちが無駄話をしている、ネタは安曇の婚活だ。
安曇は真剣であるが、体裁の為結婚を求めているわけではない。そばに愛する人が居てほしい、そうでなければ安曇にとって結婚の意味はない。
女性はどうだろう、なぜ結婚を希望するのか。
年を重ねている安曇の身近にいる女性は、今更結婚なんてめんどくさいと思っている。
せいぜい若いころ、「アッシー」「貢君」「種馬」に相当するセレブな男がいれば、「結婚してあげてもいいか」と考えている程度の女性がいて、何度か男を変えて、今はもういらないなどと言っている。
そういう女がすべてではないだろうが、近くでしゃべっている女の会話はほぼそれに近い。
「そろそろ捨てようかな」
「何捨てるの?」
「亭主に決まってるじゃん」
「え〜なんで結婚したん」
「なんでかね〜、なんとなく」
「あなた二人目でしょ〜」
「そうよ〜、何か悪いの〜」
「もう飽きたんだ」
安曇は傍らでそんな会話を聞かされていながら、こそこそと笑いのネタにされる。
「婚活しれるんだって、笑わしよるね」
「あれじゃ〜ね」
「あれじゃ〜、女はその気になんないでしょ」
「くふ!可笑しい」
50過ぎの安曇は決してプレーボーイでもなく、そこらのオッサンで、セレブでもない。
いい年をした、捨てられる世代の男に、希望はあるのか。
というか捨てられる男の話はよく聞く。
そして、今更婚活の話題を回りにふっても相手にされない。
相手は「心」があって常に変化している。
諸行無常の中で、男は何かを掴めるのだろうか、『恋』を垣間見ることができるのだろうか。
・「婚活会社への登録の前に」
安曇は特段女性友達もいるわけではないので、婚活を具体化するすべはない。
そんなことで時折、ぽろぽろと知り合いに結婚願望を離すことがある。
そんな話の中から、知り合いが女性を紹介してくれるという。
安曇はせっかくだから紹介していただくことにした。
個人的な紹介だけど、相手経歴みたいなことは伝えられたが、その女性の姿は判らない。
年齢は安曇より10歳ほど若い。
駅前の喫茶店で紹介してもらうことになった。
安曇にとってお見合いは初めてだ、適齢期にお見合い話など何もなかった。
どのような展開になるか安曇には想像できなかった、ただ緊張するだけだ。
・「桜の時季」
桜の蕾は春に恋しているように、春が来たら花を咲かせる。春が来なければ花を咲かせない。蕾のままで終わる。
恋をしていて初めて花を咲かせる。
恋をしていればその花も美しい。
桜が美しいのは、春に恋しているからだ。
・「出会いを求めて」
50過ぎの男が、婚活を始めた。
男はバツイチで、子どももいるが、その子らはすでに二十歳を過ぎ、男は自身の残りの人生を考えて、寄り添ってくれる人の必要性を感じ、60歳を目の前に嫁さがしを始めた。
結婚は体裁ではなく、未だ『恋』の経験をしていないと思っている男の、『恋』に対する未練かもしれない。「誰か好きな人が居て、命ある限り『恋』をしていたい」そんな相手と巡り会うことを願っている。
「早く私を見つけて!」まだ会わぬ相手の女性から、そのような声が聞こえてくるような気もする。
安曇は就寝前のひと時に、どこかで安曇との出会いを待っている女性がどこかにいると信じ、ワインを傾けている。
毎日一人で傾ける、ワイングラスが、いつしか二つになっていることを。
安曇はこれまで女性と付き合ってきた経験はない。
そのような男が『恋』ができるのだろうか、ロマンチックに夢を描くことはできるが、現実はそうではない。
『結婚』だけが目的であれば、選ばなければ可能かもしれない。
しかし安曇が求めているのは、『恋』だ。
女性との交際経験もない安曇にとっては、傍目から距離を置き密かに『恋』をすることは可能かもしれない。
しかし、安曇の求めているのは将来を寄り添いともに歩んでもらう女性だ、それも『恋』を前提に。
結婚までのハードルには、相手の女性と『恋愛』をしなければ到達できないということがある。安曇はそれをクリアーできるのだろうか。
・「まだまだ」
歳を考えれば、いい加減に人生をあきらめ、ほどほどに納得して終焉を迎えればよいのかもしれないが、そこまで達観できていない。
いまだ思春期と言われ、仲間からは青年のままだと言われ、半ばピエロを演じている。
当然ハードルは高い。
「50過ぎた男が、今更嫁さがしとは」とせいぜい物笑いの種。
「へぇ〜安曇さん婚活〜、本気〜」
まわりで女たちが無駄話をしている、ネタは安曇の婚活だ。
安曇は真剣であるが、体裁の為結婚を求めているわけではない。そばに愛する人が居てほしい、そうでなければ安曇にとって結婚の意味はない。
女性はどうだろう、なぜ結婚を希望するのか。
年を重ねている安曇の身近にいる女性は、今更結婚なんてめんどくさいと思っている。
せいぜい若いころ、「アッシー」「貢君」「種馬」に相当するセレブな男がいれば、「結婚してあげてもいいか」と考えている程度の女性がいて、何度か男を変えて、今はもういらないなどと言っている。
そういう女がすべてではないだろうが、近くでしゃべっている女の会話はほぼそれに近い。
「そろそろ捨てようかな」
「何捨てるの?」
「亭主に決まってるじゃん」
「え〜なんで結婚したん」
「なんでかね〜、なんとなく」
「あなた二人目でしょ〜」
「そうよ〜、何か悪いの〜」
「もう飽きたんだ」
安曇は傍らでそんな会話を聞かされていながら、こそこそと笑いのネタにされる。
「婚活しれるんだって、笑わしよるね」
「あれじゃ〜ね」
「あれじゃ〜、女はその気になんないでしょ」
「くふ!可笑しい」
50過ぎの安曇は決してプレーボーイでもなく、そこらのオッサンで、セレブでもない。
いい年をした、捨てられる世代の男に、希望はあるのか。
というか捨てられる男の話はよく聞く。
そして、今更婚活の話題を回りにふっても相手にされない。
相手は「心」があって常に変化している。
諸行無常の中で、男は何かを掴めるのだろうか、『恋』を垣間見ることができるのだろうか。
・「婚活会社への登録の前に」
安曇は特段女性友達もいるわけではないので、婚活を具体化するすべはない。
そんなことで時折、ぽろぽろと知り合いに結婚願望を離すことがある。
そんな話の中から、知り合いが女性を紹介してくれるという。
安曇はせっかくだから紹介していただくことにした。
個人的な紹介だけど、相手経歴みたいなことは伝えられたが、その女性の姿は判らない。
年齢は安曇より10歳ほど若い。
駅前の喫茶店で紹介してもらうことになった。
安曇にとってお見合いは初めてだ、適齢期にお見合い話など何もなかった。
どのような展開になるか安曇には想像できなかった、ただ緊張するだけだ。
・「桜の時季」
桜の蕾は春に恋しているように、春が来たら花を咲かせる。春が来なければ花を咲かせない。蕾のままで終わる。
恋をしていて初めて花を咲かせる。
恋をしていればその花も美しい。
桜が美しいのは、春に恋しているからだ。
by k2675
| 2015-05-07 23:51
| 恋の物語